MEMBER STORIES社員インタビュー

ファッション業界の構造を変えろ!
わずか6名の新規事業部が挑む新たなる世界への挑戦

もし新卒で入った会社で、それまでの業務とは全く異なる業界への新規事業立ち上げがあったら、あなたは自ら手を挙げることができますか?

そして完全に業界素人な状態から組織をつくり、成果をあげ、世界に対しマーケットを広げていくことができますか?

おそらく、これに元気よく「当たり前じゃん!」と言える人はそんなに多くはないと思います。(もしいたらすぐスカウトにいきます)

今回の主役はそんな逆境を乗り越えて新規事業を立ち上げ、軌道に乗せたファッション事業部の田崎 直人(たざき なおと)さん。

入社3年目でソーシャルゲーム事業部門 ⇒ ファッション業界新規事業への唐突な転換を実行し、業界内外で話題になるほどの成果をあげてきた彼が、いったい何を考え、何を描こうとしているのか。詳しく聞いてきました。

社長賞をとったゲームエージェント業務を捨てる覚悟で。
新規事業への熱い想い

田崎 実は、新規事業に携わる前、入社から2年間はソーシャルゲーム事業のエージェントをやっていました。先輩のサポートもあり社長賞までいただいたこともあります。

それもきっかけのひとつではあるんですが、自分の実力で新規事業をやりたい!という入社当時から持っていた願望が抑えきれなくなりまして(笑)

ちょうどその時、ファッション事業部が立ち上がったばかりで、ここなら新規事業ができるぞ!どうせならファッション業界を変えてやろうか!という勢いで、異動を決意しました。

何としてでもそこに異動したかったので、直接役員と社長にプレゼンしたんです。

普通、異動は公募やマネージャーとの面談で決まるんですけどね(笑)

ゲーム事業部では、与えられた仕事をベースにイチから基礎を教えてもらうなど、先輩の手厚いサポートのおかげで社長賞を獲得したという田崎さん。しかも組織体制も実績も安定しています。

そんな安定した環境を離れてまで、"自分から仕事を生み出していくことにチャレンジしたい!"とファッション事業部へ自ら異動を申し出た田崎さん。

すべてゼロからの、困難と多忙を極めた挑戦が始まりました。

予算ゼロ。人脈ゼロ。
全て手探りのなか、初めての業務はダイレクトメール作成

田崎 異動した時はまだファッション事業部が始まってから2年目で、営業活動も手探りでやっていました。何から何までゼロからのスタートって感じですね(笑)

「ファッションクリエイターの紹介事業を収益化すること」という初期目標は掲げたんですが、そのためにはクリエイターとクライアントに認知してもらわなくてはならない。

でも広告を打つ予算もないですからね。デザインから何から全部自分の手でDM(ダイレクトメール)を作ったんですよ。

そして、DMが届いた頃合いにテレアポと訪問をするんですが、1000件以上片っ端から一人でやりました。どれだけやっても最初はだれも話を聞いてくれなかったんです。

「1分でもいいのでお願いします!」っていう感じで...とにかく必死でした。

そうしていくうちにアポイントを取れるようになってきたのですが、次に待ち受けていたのは1日に3件以上の訪問。とにかく泥臭い仕事でした。

自分の手で1からDM作成に1000件以上の電話。さらに訪問を1日3件以上...。

普通に考えるとちょっと逃げ出したくなる数字ですが、そのタスクを自らに課し、自分で何とかする過程にあったのは、決して「気合」や「根性」「若さ」だけではなかったと田崎さんは続けます。

会社から与えられたノルマではなく、自ら立てた目標から"やるべきこと"を洗い出して全力を尽くす姿勢。いやはや、聞いていて身の引き締まる思いですね。

多すぎる専門知識と業界用語...。
ハイスピードで知識を武器に変えていくために

田崎 ファッション業界は専門用語や業界用語などが多く、そういった知識を知らないと業界の人と対等に話ができない。

正直言って、クライアント先に訪問した時、担当者がほとんど何を言っているのかわからなかったんですね。

何度も聞き返して本当に恥ずかしかった。そんな経験があったので、何が何でも知識を吸収して使えるようになろうと必死でした。

営業活動だけでもめちゃくちゃなのに、平日休日関係なく電車内で調べたりファッション雑誌を読んで勉強したり。

果てはショップや工場の見学、さらにファッション業界の方々が集うパーティに積極的に参加したという田崎さん。

ここまでやるか!というくらい全力で駆け抜ける田崎さんを支えたのは、自ら掲げた目標と自分を頼りにしてくれているファッションクリエイターたちの存在だったのだとか。

夢を叶えてあげるために、
自分にできること

田崎 実は日本のファッション業界って、商品のクオリティは世界的に見ても高いのに働く側の待遇があまりよくない。つまり給料が高くないんですよ。

だから、どれだけ「あのブランドで働きたい!」みたいな夢を持っても、ライフプランを意識してなかなか業界に入り込めない人が多い。勇気が出ないんですよね。

でも、だからこそ「人材を欲しがる側のニーズ」と「デザイナーやパタンナーのスキルセット」を正確に把握し、ミスマッチが起こらないよう、きちんとした報酬がもらえるよう調整する役割が必要なんだと思うんです。

担当したパタンナーさんやデザイナーさんが、スキルとセンスをしっかり評価されて今も元気に働いている...なんて知らせを受けると、やっぱりすごく嬉しいですし「こうあるべきだよね」なんて思います。

憧れる人は多く、商品のクオリティも高いのに給与や待遇があまり良くはない。

日本にかぎらず、多くのアジア諸国で蔓延してしまっているそのおかしな情報を打破するために、就業する人と採用する企業側の間に入る役目を自らの役割としたという田崎さん。

業界全体の大きく変えがたい構造そのものに異を唱えるその行動は、素人目に想像しても決して簡単な話ではないはず。

なぜそこまで強い意思を持ってその問題に挑むのか。お話を伺うと、さらに熱い言葉がガンガン出てきました。

「古い業界の慣習」に見た"変革"の可能性と、
人材事業に留まらない新規事業への熱意

田崎 ファッション業界って慣例や就業体系·環境が相当古くて、成長スピードが本当に遅いんです。もう業界全体が課題まみれな状態。

だからこそ、「人材問題だけでなくあらゆる部分に事業化のタネがあるんじゃないか?」なんて思ってしまうんです。

他業種との交流がほとんど無くファッションはファッション!で固まってしまっている業界なので、例えば伝統工芸と最新のファッションを組み合わせたら...?

なんて、そんな事を考えるとすごくワクワクするじゃないですか

問題と課題があるなら、そこにはビジネスのチャンスがある。そう考えると、目に映るモノの見え方が変わるんですよね。

営業活動だけでもめちゃくちゃなのに、平日休日関係なく電車内で調べたりファッション雑誌を読んで勉強したり。

果てはショップや工場の見学、さらにファッション業界の方々が集うパーティに積極的に参加したという田崎さん。

ここまでやるか!というくらい全力で駆け抜ける田崎さんを支えたのは、自ら掲げた目標と自分を頼りにしてくれているファッションクリエイターたちの存在だったのだとか。

エージェントではなくて、一人の事業家として、
海外への架け橋へ

田崎 実は日本のファッション業界の方々が世界の舞台からどんどん姿を消しているんです。

そんな悲しい状況を覆すような新しいムーブメントを起こしたい...そんなことを考えています。

デザイナーやクリエイティブディレクター、さらにはショップスタッフを海外で活躍させる、その架け橋になるために、日々奮闘ですね。

数年とはいえ、安定した環境での実績を積み上げる道を捨て、全く知らない世界での事業推進に大きくシフトチェンジ。それだけでなくそこで必要な情報を仕入れ、理解し、噛み砕いて成果につなげていった田崎さん。

そんなイケイケな状態にも関わらず、「まだ始まったばかり。これからですよ!」と語る田崎さんこそ、『とにかくやってみればいい』文化で色々押し通してしまうクリーク·アンド·リバー社っぽい社員。と言えるのかもしれません。

「まだ何も分かっていないけれど、いつかは世界で!」なんて、小さな野望を胸に抱えている方は、ぜひクリーク·アンド·リバー社の説明会へ。

次の田崎さんになるために必要なのはスキルでも知識でも経験でも年齢でもありません。ただひとつ「やります!」と手を挙げること。かもしれませんよ?

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